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久しぶりに「オットー・ディックス」の画集を引っ張り出す。
藝大受験の時に知った画家で、20世紀のドイツ・新即物主義ですが、ある部分写実的でありながら、生々しく、えげつなく、強烈な部分が好きになった。
改めて観ると、やはり【目】の存在感、表現なのでしょう。
「目には目を」と日本語で言うと仕返しのことを言いますが、目で見る人は、その対象となる人の目を見ることが多い。
踊りを観ていても、どんなに足を打とうが、腕で表現していようが、一番見ている部分というのは【顔】そのもであり、そしてその表現者の【目】から感情を汲み取るのだろう、と思います。
それは「目力」だけでなく、見えていなくてもその方向性、存在、そしてそこからくる感情なのかもしれません。
身体を使い表現する踊りで一番難しいのは、動くことより「動かないこと」にあります。
動かずに(動いていなくても)、踊りとして見せる、これが本当に難しい。。。
「目は口程に物を言う」のですから、目ほど感情表現をする方法はないのでしょう。
だけど、目や表情ばかりの表現に走るとダンサーならぬ【ガンサー(顔サー)】になってしまうのが難しい加減。
先日の撮影のお仕事で、そこの部分を改めて考えさせられました。
こうして考えると、とても面白い世界です。
これからもっと「踊ること」が楽しくなりそう!
自分の顔には自信ありませんが、「表情」で、そして「目で演じられる」ようになれば、もっと違う世界観が生まれてくるのではないかと思い、これから寝るところです🤣
タイトルの「びぼう」は「美貌」ではなく「備忘」です。
おやすみなさい(つ∀-)
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